橋本竹下
竹下は号で、諱は徳聴、名は旋、字は元吉、通称を吉兵衛、のちに荘右衛門と改めた。三原市の素封家川口家に生れ、現在の長江口消防暑付近にあった加登灰屋を嗣いだが学を好み、詩文に長じ、はじめ菅茶山に学んだが、のちに京都に上って頼山隠に師事した。
山陽とはとくに親しく、また籔内流茶道宗匠内海自得斎がいたことなどから山陽はもとより田能村竹田らその当時の文人墨客が肪れ、その頃であったか竹下が久保二丁目防地口の現橋本邸を手にいれ、
池は旧坊地川に隣接し、池入口には意図的に縦割りされた巨石を構え、内部には井戸や灯篭が配される奇抜な手法が用いられるなど、庭園全体は様々な意匠と特徴を包含し、築庭されています。
前に清流のそそぐ防地川をひかえ浄土寺を借景にして別邸をつくり来訪者を歓待したのであろう。晩年は不幸にして失明したが、詩文はやめなかったと伝えられ、文久二年(1862)七十才で残した。