豪商が渋谷氏(大西屋)一統の墓か
渋谷家の先祖は源義朝の臣で、義朝が尾張国で長田忠政らに殺されたとき、敵の囲いを単騎で駈け抜け主君の横死をゆかりの人々に報せた渋谷金王丸と伝えられ、その七代目の与右衛門から尾道に移り住んだ。
与右衛門は秀吉の文禄。慶長の役(1592~1598)にさいしては毛利軍渡海のための普請奉行の重職にあたったほか、慶長五年(1600)の関が原の役にも毛利軍の諭送部隊として船団を用意するなど、尾道において“海の重職”であったことがうかがえる。
火輪の一角が欠けているこの五輪墓は木ノ庄町木梨、鷲尾山城を拠点に、代々はかない運命の渦潮にもてあそばれた城主杉原元恒の墓。元恒は、永禄三~四年(1560~1561)の頃には毛利元就に従っているものの、備南の強豪としてその勢力は元就をもはばからせるものがあった。