善勝寺 → 御袖天満宮へ
距離:250m 標高 出発:17.9m 到着:38.3m 最高点:38.3m 最低点:8.5m
【天神さまの霊験碑】
明治の初めころ、長江に生玉茂七さんという人がいました。
一日の仕事をすませ、ゆっくりとくつろいでいたときです。茂七さんが日ごろお世話になっている畳問屋からお使いの人が来ました。ちょっと店まで来てほしいということです。茂七さんは、さっそく出かけて行きました。
「何かご用でも」
いぶかしげに尋ねる茂七さんに、
「いやいや、親類から珍しいものを送ってきましてね。
しかし、運悪く、その日その畳問屋に行ったのは、茂七さんしかいなかったのです。その日から見張り番がニ、三人、茂七さんの家の前後に立ちました。
茂七さんの金庫ぬすみのうわさは町中に広がり、茂七さんを訪ねて来る人もなく、外に出ることもできなくなってしまいました。
茂七さんは、戸を閉めきった家の中で頭をかかえこんでいましたが、
「いつまでもこんなことではいけない」
と、かねてから尊敬していた人のところへ相談に行くことにしました。
善勝寺の山門から出、
いっしょに一杯やろうと思って」
と、問屋の主人の言葉が返ってきました。
茂七さんが、ごちそうになって家に帰り着くと間もなく、畳問屋の番頭さんがやってきました。
「たいへんなことが起こりました。お店の手提
げ金庫がなくなっているのです。家中調べたのですが、見当たらないのですよ。あなたに心当たりはないものかとお尋ねに上がったのです」
あまりにもの言葉に
「金庫なんて知りません」
という茂七さんの声はうわずっていました。
左
下
段
へ
石段を下ります。
真っ直ぐ行きます。
真っ直ぐ道路を横断し行きます。
むかしは、出雲街道が左から来て、正面に向かってL字型に曲がっていた箇所です。
「あの人なら、きっと私を信じて下さっているにちがいない」
希望を持って訪ねて行った茂七さんに、思わぬ言葉があびせられたのです。
「お金をどこにかくしているのか、はっきり言ったらカになろう」
それを聞いたとき、茂七さんは生きる望みを失ってしまいました。
『この無実の罪を晴らすには死ぬよりほかにない』
茂七さんは、フラフラと井戸のそばに近よりました。そして、まさに井戸に身を投げようと
したときです。茂七さんの体を後からしっかりと抱きとめた人がいました。茂七さんの尊敬していた人が、あとから追って来たのです。
「言葉がすぎた。許してくれ。お前を信じていないわけではない。町中のうわさにわしのカできって茂七さんのところへやって来ました。
「おい!犯人がわかったぞ」
茂七さんは、一瞬わが耳を疑いました。
その友達が話すには、長江花町の一角で駄菓子を売っているおばあさんと、世問話をしていたときです。一人の子どもがやって来て、一文銭を五文さし出しました。ところが、その中に字変わり一文銭があったのです。その字変わり一文銭は、梅と松に菅公が彫ってあって、あの畳問屋に使っている止め銭と同じなのです。友達はその字変わり一文銭をつかむと畳問屋に走りました。
だけの独特の模様を彫りこんだ一文銭をつくっていたのです。それを字変わり一文銭と呼んでいました。千枚の一文銭の終わりに字変わり一文銭を一枚入れておき、それを数えると、一文銭が何千枚あるかすぐわかるということになっていたのです。最後に人れるところから、止め銭とも言っていました。
梅と松に菅公の字変わり一文銭のおかげで、命をとりとめた茂七さんは、今更のように天神さまの霊験に感謝しました。
そして、畳問屋にその止め銭をもらえ
真っ直ぐ行きます。
正面の細い道に入ります。
左に「左いづも往来」の石碑があります。出雲街道を使って、石見銀山から尾道まで陸路で「銀」が運ばれていました。
さてさて、その字変わり一文銭を使った者こそ犯人だと、町中大さわぎになりました。
これで茂七さんの疑いは、すっかり晴れたということです。
手提げ金庫は、畳問屋の息子の友達四、五人が、つい出来心で持ち出したのでした。いたず
らは悪いことだとさとされ、子どもたちは深く反省したそうです。
茂七さんはうれしさのあまり、どっと男泣きに泣きくずれました。それから、すぐに天神さまに、お礼まいりに行きました。
当時、大きな商売をしている店では、その店