千光寺山頂 → 千光寺へ 「文学の小路」
距離:240m 標高 出発:143.7m 到着:96.6m 最高点:143.7m 最低点:96.6m
左
下
段
へ
金田一 京助
かげともの をのみちの やどの こよなきに たびのつかれを わすれて いこへり
江見 水蔭
覚えきれぬ 島々の名や 夏がすみ
アイヌ文学の研究で知られる言語学者。石川啄木の親友で、彼を金銭などさまざまな面で支えた。(Onomichi Official Guide Book
より 発行:尾道市)
尾崎紅葉が主宰した硯友杜の同人として知られる小説家。主著は「自己中心明治文壇史」。岡山市生まれ。(Onomichi Official Guide
Book より 発行:尾道市)
左
下
段
へ
志賀 直哉 (暗夜行路より)
六時になると上の千光寺の鐘を撞く。ごーんとなると直ぐゴーンと反響が一つ、又一つ、又一つ、それが遠くから帰ってくる。……
「無意味な積極よりは、意味のある消極の方がなんぼう積極であるか分からない」という志賀直哉の言葉があります。NET社会では、より深い意味をもってきましたね。
1912年秋から、翌1913年の中頃まで尾道に住み、その情景を代表作「暗夜行路」に描いた。この碑は、画家の小林和作が筆をとったもの。(Onomichi
Official Guide Book より 発行:尾道市)
左
下
段
へ
林 芙美子 (放浪記より)
海が見えた。海が見える。五年ぶりに見る尾道の海はなつかしい。汽車が尾道の海にさしかかると、煤けた小さい町の屋根が提灯の……
尾道の東側の風景です。
緒方 洪庵
軒しげくたてる家居よ あしびきの 山のおのみち 道せまきまで
1916年に尾道に移り住み、尾道第二尋常小学校(現・土堂小学校)、尾道高等女学校(現・尾道東高)で学んだ。この碑は小学校時代のの恩師小林正雄が筆をとった。
(Onomichi Official Guide Book より 発行:尾道市)
幕末の蘭学者で、天然痘治療などに貢献し、日本近代医学の祖とされる。岡山市出身で、幕府の侍医も務めた。
(Onomichi Official Guide Book より 発行:尾道市)
次
頁
へ
巌谷 小波 (おとぎばなし作家)
大屋根は みな寺にして 風薫る
下ると千光寺です。
硯友社同人として小説家デビューした後、児童文学に転じて、日本や世界のおとぎ話をまとめた。
(Onomichi Official Guide Book より 発行:尾道市)