尾道駅
尾道市東御所町  標高:3.1m
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 建て替え前の尾道駅。

 1999年に再開発されましたが、駅舎だけは古い景観を保っていました。
 1937年頃の尾道駅。

 林芙美子は、この駅舎になる以前の尾道駅に初めて(1916年 13歳のとき)降りたのでしょうか。
 昭和3年(1928年)1月から尾道駅舎の改築に着手し、同年9月のはじめに新駅舎に移転しました。
 昭和7年(1932年)に創業した尾道市営バスが二台あり、その横に当時新しい職業であった女子車掌が立っています。
林芙美子著 「風琴と魚の町」より

 蜒々(えんえん)とした汀(なぎさ)を汽車は這(は)っている。動かない海と、屹立(きつりつ)した雲の景色は十四歳の私の眼に壁のように照り輝いて写った。その春の海を囲んで、たくさん、日の丸の旗をかかげた
町があった。目蓋(まぶた)をとじていた父は、朱(あか)い日の丸の旗を見ると、せわしく立ちあがって汽車の窓から首を出した。
「この町は、祭でもあるらしい、降りてみんかやのう」
 母も経文を合財袋(がっさいぶくろ)にしまいなが




ら、立ちあがった。 「ほんとに、綺麗な町じゃ、まだ陽が高いけに、降りて弁当の代でも稼ぎまっせ」
 で、私達三人は、おのおのの荷物を肩に背負って、日の丸の旗のヒラヒラした海辺の町へ降りた。
 駅の前には、白く芽立った大きな柳の木があった。柳の木の向うに、煤(すす)で汚れた旅館が二三軒並んでいた。町の上には大きい綿雲が飛んで、看板に魚の絵が多かった。
 浜通りを歩いていると、ある一軒の魚の看板の出た家から、ヒュッ、ヒュッ、と口笛が流れて来た。父はその口笛を聞くと、背負った風琴を
「あにさん! 日の丸の旗が出ちょるが、何事ばしあるとな」
 骨を叩く手を止めて、眼玉の赤い男がものうげに振り向いて口を開けた。
「市長さんが来たんじゃ」
「ホウ! たまげたさわぎだな」
 私達はまた歩調をあわせて歩きだした。
 浜には小さい船着場がたくさんあった。河のようにぬめぬめした海の向うには、柔かい島があった。島の上には白い花を飛ばしたような木がたくさん見えた。その木の下を牛のようなものがのろのろ歩いていた。 ……………
 このころのタクシーは、まだ円タクではなく、「五十銭均一」でした。
思い出したのであろうか、風呂敷包みから風琴を出して肩にかけた。父の風琴は、おそろしく古風で大きくて、肩に掛けられるべく、皮のベルトがついていた。
「まだ鳴らしなさるな」
 母は、新しい町であったので、恥しかったのであろう、ちょっと父の腕をつかんだ。
 口笛の流れて来る家の前まで来ると、鱗まびれになった若い男達が、ヒュッ、ヒュッ、と口笛に合せて魚の骨を叩いていた。
 看板の魚は、青笹の葉を鰓にはさんだ鯛であった。私達は、しばらく、その男達が面白い身ぶりでかまぼこをこさえている手つきに見とれていた。






 昭和10年ころの尾道駅前。このころの道路は未舗装で、時々撒水車が水をまいて通っていました。
駅裏口:  蘇和稲荷:  東行バス停:  駅前桟橋:  林芙美子像へ:  持光寺へ:
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