来迎山引接院 正念寺(時宗)
尾道市西久保町  標高:7.2m
ウォーキング地図へ
 天井絵は、民衆からの奉納も多く、豪商との差別もなく、江戸時代に尾道は、比較的平等な社会を築いていたのでしょう。
 武士は人口の1%位しかいなく、主に商人が町を治めていたようです。
地蔵堂
 古代中国の五行(ごぎょう)思想では、万物は木・火・土・金・水から成っているとされ、それぞれに青・赤・黄・白・黒の色が配されたのですが、黒が緑になっていますね。どんな意味があるのでしょうか?
延命地蔵尊にまつわるエピソード

小野篁( おのの たかむら)平安前期( 802~852 の人)は、夜毎に地獄に通って閻魔の裁判を手伝ったという。
 篁は閻魔を救ったこともあった。六道の行き先を
決める閻魔大王が三熱苦に悩んでいるのを見た篁は、師と仰ぐ満慶上人の菩薩戒で閻魔の苦しみが取り除けないものかと考え、閻魔の許可を取って満慶上人を地獄に案内して上人の菩薩戒で閻魔の苦しみを除いたのである。
 その礼として地獄見学を許された上人は、炎熱に
焼かれつつ罪人を救済しようと働く地蔵の姿に心を打たれ、この世に還った篁と満慶上人は弘仁十一年(820)に奈良の矢田寺に地蔵菩薩を建立した。これが日本最古の延命地蔵尊だという。




 お地蔵さまが広く民間に受け入れられたのは、他の菩薩が天界にあって救済活動を行うのに対して、お地蔵さまは大地にあって救済を行うためでもある。
 お地蔵さまのご利益は、万物を蔵する大地だから守備範囲は広く、延命地蔵、身代わり地蔵など目的別のさまざまな名前で役割分担をしている。民間信仰が広まると、八兵衛地蔵、源助地蔵などと固有の名前を持つ地蔵も作られるようになった。
       延命地蔵菩薩

    やさしい感じの地蔵様ですね。




 水道が断水になった時は頼りになりますね。
 延命井。

 古くから山陽道へと続く防地街道を行く旅人の喉を潤してきたもの。今でも飲むことができます。
防地口へ:   西郷寺へ:   久保八幡神社へ:
1頁へ  2頁へ  3頁へ