鞆の津の商家
福山市鞆町鞆 標高:7.9m
鞆の浦は瀬戸内海の中央にあり、古くから瀬戸内の交通・軍事の拠点だった。なかでも鎌倉末期から南北朝中期までの約50年の争乱を描いた軍記物語「太平記」には、いかに重要な位置を占めていたかが描かれています。
人や物が流通する結節点でもあったので、最も情報の得やすいこの場所を拠点に、最後の足利将軍は「鞆幕府」と呼ぶ亡命政権の中核をここに起き、帰洛戦(上洛戦)を望んでいたのでしょう。
昔の電話機が残っています。
土蔵
「祈雨・止雨の祈願」
古代、日本では馬を神の乗り物として神聖視してきた。そのため神に願いを届ける際には、生きた馬を捧げるという習わしがあったそうです。瀬戸内の夏は、水の確保が大変ですからお祈りをしたのですね。
「絵馬の発祥」
古代、雨乞い止・止雨を願う際は、生き馬が献上されましたが、平安時代中期になると、土や木でできた馬型の像が代わりに用いられました。やがてそれらが簡略化され、神馬の姿を額に描いた絵馬が奉納されるようになりました。
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