左
下
段
へ
道なりにゆるやかに下ります。
道なりに。
叡福寺跡
想像図がありました。基礎は復元されるのですが、資料がないため建物は復元されないようです。
跡地は国指定の史跡で、発掘をしながら、史跡を生かした公園のようにする整備が進められています。
1189年(文治5年)に源頼朝は、奥州平泉に行き、藤原氏の建てた中尊寺(ちゅうそんじ)や毛越寺(もうつうじ)をみて感心したといいます。
そして、源義経(よしつね)や藤原泰衡(やすひら)をは
じめ数万の戦いで亡くなった人の慰霊供養(いれいくよう)のため、平泉の中尊寺の二階大堂大長寿院(だいちょうじゅいん)をまねて永福寺を建てることにしました。1192年(建久3年)本堂が完成し、続いて阿弥陀堂(あみだどう)・薬師堂(やくしどう)の三堂がそろいました。更に三堂前面には広い池がつくられ、寺内に
多宝塔(たほうとう)・鐘楼(しょうろう)・回廊(かいろう)・別当坊(べっとうぼう)・俱僧坊(ぐそうぼう)などが建ち並び、中の島や釣殿(つりどの)もあり、ヤナギ、桜、梅などの木々も植えこまれ、立派な寺院だったようです。
鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より