苔の階段手前右側に大蔵弁財天を祀る、弁財天堂があります。
鳥居の先左には小さいながら弁天池もあります。
室町時代以降、弁財天が七福神の一神に加えられて
、福徳財宝をつかさどる神様として崇められるようになり、とりわけ江戸時代になるとその人気が大いに盛り上がったとのことです。
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本堂(観音堂)
棟札に1678年とある寄棟造、茅葺の建物。
この日は、お経が20名以上で合唱されていました。
昔は、お経の合唱はコンサートのようなものだったのでしょう。
鐘楼。
851年(仁寿元年)慈覚大師(じかくだいし)がこの寺で霊感にうたれ、自ら海辺に浮かぶ木を彫刻して作ったという十一面観音の尊像(そんぞう)をこの山に安置したと伝えられています。内陣(ないじん)にある中央の平安時代末か鎌倉時代のころの作といわれる本尊(国重文)がこれにあたるものだといわれています。
さらに985年(寛和元年)花山法王(かざんほうおう)の言いつけで、横川の恵心僧都(えしんそうず)が十一面観音を作り、それを熊野権現(ごんげん)の教えによって杉本寺に納めたといわれます。今、内陣の右側に立っている仏像(国重文)は鎌倉時代のころのもので、これにあたるといわれています。その後、
花山法皇が法皇になってから、988年(永延2年)に杉本寺を坂東第一番と決めたといわれています。
それから今日に至るまで、巡礼が絶えません。お堂のあちこちに、お参りした人の名を刷りこんだ千社札(せんじゃふだ)がはられています。この札をはると、この堂におこもりしているのと同じことに
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