多福山一乗院 大宝寺(日蓮宗)
鎌倉市大町3-6-12 標高 11.9m
ウォーキング地図へ
佐竹氏の先祖の話

「横山という苗字の人は、常陸の金砂山に登ることができない」

 どうして神様に仲が悪いというような話があり、おまいりすればたたりを受けるという者ができたのか。それがだんだんにわからなくなって、人は歴史をもってその理由を説明しようとするようになりました。たとえば横山という苗字(みようじ)の人は、常陸の金砂(かなさ)山に登ることができない。それはむかし佐竹氏の先祖がこの山に籠城(ろうじよう)していたときに、武蔵の横山党の人たちが攻めてきて、
城の主が没落することになったからだといっていますが、このときに鎌倉将軍の命をうけて、従軍した武士はたくさんありました。横山氏ばかりがいつまでも憎まれるわけはないから、これにはなにかほかの原因があったのであります。
(茨城県久慈郡金砂(かなさ)村。『楓軒雑記』)


 本尊の三宝本尊と四菩薩像、その前に日蓮上人像、左側に開山日出と新羅三郎義光の像、右側に出世大黒天と鬼子母神像。

 勝軍山神社を崇敬した佐竹氏の始祖は、源義家の実弟の新羅三郎義光(源義光)といわれる。その子孫である佐竹義重は戦国大名の威勢を確立し、その子の義宣が初代秋田藩主として大大名となり、江戸時代には秋田藩を統治して幕末を迎えた。
 このように平安時代から江戸時代をサバイバルした武家はきわめて異例であり、当社は佐竹氏のそうした強運のご利益を発揮すると考えられる。




東勝寺跡へ   安養院へ
1頁へ  2頁へ  3頁へ