一幡(いちまん)は、建久8~建仁2(1197~1202)の人。源頼家の嫡男。母は比企能員の女若狭局。建仁3年(1202)7月、頼家の病を機に将軍職譲補を行い、一幡に関東二十八か国の地頭職・惣守護職、弟千幡(実朝)に関西三十八か国の地頭職が譲与した。この処置を不満として北条討伐を企てた能員は、逆に9月2日名越亭で謀殺された。その一族は比企ケ谷の一幡の館(小御所)に立て籠って戦ったが敗れ、館に火を放ち全員自殺した。一幡も母と共に焼死、その遺体は焼け残りの小袖により確認された。
享年六歳。墓は妙本寺釈迦堂の傍にあり、俗に一幡袖塚という。(巌志)
[文献]『吾妻鏡』(『大系』)