妙長寺 → 向福寺へ
距離:130m  標高 出発:6.2m 到着:4.2m 最高:6.2m 最低:4.2m
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【乱橋(みだればし)】
 長さ1mばかりの橋があります。橋が短いうえに、道路とともに舗装されているので、うっかりすると見落としてしまいそうですが、橋のたもとに立てられている「乱橋」と刻まれた史跡案内の石碑で、その存在を知ることができます。




 この橋は、材木座の北東から西へ流れる滑川に注いでいる小川にかかる石橋ですが、鎌倉十橋(じっきょう)の一つに数えられています。
 「乱橋また濫橋(みだればし)といい一石橋(いっこくばし)の名で、橋の南方に連理木(れんりぼく)があって名高い。」と石碑に書かれています。
 今は路幅も広くなり、昔の面影はありませんが、最初の乱橋はきっと一つの石橋でできていたのでしょう。また、連理木もいまはありません。連理の木というのは別々の根から生えた2本の木の枝が、重なりつながってしまったものをいいます。
 橋の名の由来は、新田義貞(にったよしさだ)の軍勢
が鎌倉へ攻め入ったとき、幕府の防御線がこの橋のあたりでくずれて乱れはじめたので、乱橋と呼ぶようになったと一般的にはいわれています。しかし、『吾妻鏡』には、新田義貞の鎌倉攻めより前の1284年(宝治2年)に、濫橋の名が出ています。また、濫橋ともいわれることから、滑川の支流の氾濫による名前と









もいわれます。
 乱橋は地名にもなっています。江戸時代の元禄年間(1688~1704)以前は、乱橋材木座村と呼ばれ、以後、乱橋村と材木座村に分かれたあとも、土地の人は、「乱橋(みだればし)材木座」と呼んでいたようです。村の中央にこの橋がかかっていたとから、村の
名になったのだと思われます。

 鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」