す。しかし、長楽寺は、政子より後の時代に、浄土宗(じょうどしゅう)の法然(ほうねん)の孫弟子である智慶(ちけい)が開いたとみられ、日蓮(にちれん)が批判した北条氏ゆかりの建長寺などの寺院に並ぶ大寺院でした。元弘(げんこう)年間(1331年~1333年)のころ焼失したとい
入口の右側に「長楽寺(ちょうらくじ)跡」の史跡案内の石碑が立っています。ここは長楽寺ヶ谷(ちょうらくじがやつ)という小さな谷で、1225年。(嘉禄元年)、北条政子(まさこ)が夫の頼朝(よりとも)の菩提(ぼだい)を弔(ともら)うために長楽寺を建てたところだといわれていまわれますが、はっきりわかっていま
せん。また、その後大町の安養院(あんよういん)に移されたということも伝わっています。
鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より