龍護山 満福寺
鎌倉市腰越二丁目  標高:13.4m
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 義経は、宇治川、一ノ谷、屋島、壇ノ浦の平家との戦いで、圧倒的な勝利をものにする。とくに鮮やかだったのは一ノ谷での戦いだった。有名な鵯越の坂落しがそれで、鎌倉時代の史書のひとつ『吾妻鏡』によれば、二万余の平家の大軍を七十余騎で破ってしまったという。敵の背後から本陣のみを狙った奇襲作戦だった。しかし、この時期に戦いを急がせたのは、頼朝の戦略による。一ノ谷の戦いは二月であり、この時期を選んだことが大きな勝因のひとつだったのである。二月は農閑期であり、
 尾道の浄土寺に、「源氏は”伝書鳩”を使うことが出来たが、平家はそれが出来なかった」という言い伝えがある。
 もしかしたら、平家の大将の居場所を伝書鳩が伝えたとすると、面白い
鎌倉武上たちは心おきなく戦うことができた。
もし、季節がずれていれば農繁期になってしまう。そうなれば、坂東の椎兵たちは農夫であり、故郷の田畑が気になり、脱営帰農の兵も出たかもしれない。厭戦気分が全軍に漂ってしまえば、戦さどころではなかったはずである。
 木曽義仲との戦いから二週間しか経っていないのに、平家追村を命じた頼朝の戦略の妙があってこそ、義経の天才的な戦術がいかんなく発揮された、といえるかもしれない。
 一ノ谷での戦いで、平家の対象が居る場所がどうして分かったのかはハッキリしない。






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