もとは八王子宮、三神社などとも呼ばれており、腰越五ヶ町といわれる中原・下町・土橋(どばし)・神戸(ごうど)・浜上(はまじょう)の鎮守です。この神社は、文治年間(1185年ー1189年)、源(みなもとの)範頼(のりより)の軍に従って源平の合戦に活躍した近江源氏(おおみげんじ)の佐々木盛綱(もりつな)が、江の島
弁財天(べんざいてん)への参詣(さんけい)の途中に、この神社のある小動(こゆるぎ)山に上り、その景色のすばらしさと小動の松に感激し、日ごろ信仰する先祖の代から支配していた江の八王子宮を移したのが始まりだといいます。八王子宮というのは、素戔嗚尊(すさのうのみこと)の子どもの五男三女の神をいい、
三神社というのは、牛頭天王(ごずてんおう)(素戔鳴尊)、年神ともいわれる歳徳神(としとくじん)、日本武尊(やまとたけるのみこと)の三神をまつっているからで、拝殿の中には、小田原藩主の大久保忠真(たださね)が書いた「三神社」の額が掲げられています。