浄土寺 薬師堂
尾道市東久保町  標高:27.1m 
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 方三間、宝形造、本瓦葺の開山堂です。「延命薬師如来」、「一畑薬師如来」を祀る薬師堂となっています。

 「一畑薬師如来」は、出雲の一畑山頂にある臨済宗「一畑寺」に祀られる薬師如来と関係があるのでしょうか? 浄土寺は真言宗泉涌寺派なのですが、泉涌寺は「密・禅・律・浄」の四宗兼学の道場としての歴史があるので、禅寺である一畑寺であっても関係があってもおかしくはないのでしょう。

 浄土寺歴住墓の灯籠には「出雲国 堅田定五郎忠成」と刻まれたものがあり、出雲との繋がりが深いため、「一畑薬師様」という通称で呼ばれている、特に目のお薬師様として信仰されている薬師様にいらっしてもらったのでしょうか。
出雲国「一畑寺」の歴史

 今からおよそ1100年前、平安時代の894年に一畑山の麓の海岸に与市という漁師がいました。盲目の母親と二人暮らしであった与市は、ある日海から金色に輝く薬師如来を引き上げます。
それからというもの与市の家には不思議なことが相次いで起こり、夢で薬師如来のお告げを受けます。与市はそのお告げ通り、母親の眼病を治すために千把の藁を身にまとって近くの崖から飛び降りようとします。村人たちの説得も虚しく与市は転げ落ちていき、千把の藁はバラバラになりました。
 気がつくと与市は大きな石の上に安座しており、怪我一つありませんでした。そして我が子の身を案じて無我夢中で走り駆け寄った母親の目は、しっかりと開いていたということです。
 その後与市はこの地にお堂を建てて薬師如来をご本尊として祀り、自らは比叡山に上り出家をして名を補然と改めました。そのことから一畑薬師は「目のお薬師さま」といわれるようになったということです。(出雲観光ガイドより)
 正面に「鏡」があり、その前にお地蔵様?がおられます。「鏡」は普通は神社に祀られますが、鏡が置かれる理由は、「鏡に映る自分自身が、神様(仏様)と向かい合い、自分を振り返るという大切な意味が込められている」ということなので、おかしくはないですね。
 国宝の多宝塔が正面にあり、多宝塔を違う角度から見ることが出来ます。
 西の方面(冬場は、太陽が海に沈んでいきます。)
    少し雪が積もっています。
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