御袖天満宮 → 福善寺へ
距離:160m 標高 出発:38.3m 到着:22.3m 最高点:38.3m 最低点:22.3m
運ぶんで、和七が荷物を運んでおるときは、道の真ん中を荷物だけが歩いとるようじゃった。
それに、働きもんで親切じゃった。
大きな荷物をかかえて困っている人をみれば、ひょいとさげててごうして(助けて)やった。
そのころは鉄道もない時代じゃったから、大荷物を運ぶのは船じゃった。
それで尾道の港はようにぎおうとった。
尾道の仲仕には二つの組があっての。
畳表(たたみおもて)を運ぶ人を表仲仕(おもてなかせ)、海産物を運ぶ人を沖仲仕(おきなかせ)と言うた。
と力自慢(ちからじまん)の話になっての、『三十貫の鉄棒を運べるものは沖仲仕にはおらんじゃろうが、うちの和七ならできる」と言うてしもうたんじゃ」
「組頭、それは無理(むり)いうものです。いくら私でもそれはできません」
おとなしい和七はすまなそうに、小さな声で断(ことわ)った。
じゃが伊平さん、浜問屋の組頭にたんかをきったてまえ、いまさら後へはひけん。
和七に何回も頼みこむんじゃ。
和七は困ってしもうたが、日ごろ世話になっている伊平さんの顔を
参道から、左にある家と家の間の隙間を入ります。
(静かに通りましょう。)
和七は表仲仕じゃった。
表仲仕をしきっとった表問屋(おもてどんや)と、沖仲仕をしきっとった浜問屋(はまどんや)は、なにかにつけて張り合うとって、仲もあまり良うなかった。
ある日、表問屋の稲田伊平(いなだいへい)さんが和七を呼んでこう言うた。
「和七どん、まことにすまん話じゃがの、三十貫の鉄棒二個(225kg)をさげて、天神さんの五十五段を下りてくれんかのう」
和七は、鳩(はと)が豆鉄砲(まめでっぽう)をくろうたかのようにきょとんとした。
「実はな、浜問屋(はまどんや)の組頭(くみがしら)
この先を右に。
曲がりながら道なりに。
むかし「タイルの小路」と呼ばれていました。
観光客が増えすぎ、うるさいため、この道が紹介されなくなりました。同時に、維持もされなくなりました。
つぶすこともできん。
試しに三十貴の鉄棒を二個さげてみたが、抱(かか)えるのがやっとじゃった。
石段をおりるなんてとんでもない。
そんな和七の気持ちも知らんと、町のもんはみんな好き勝手なことを言うとった。
「和七ならやれる」
「いや、いくら和七というても三十貫は無理(むり)じゃ」
「いやいや、そんなことはない。おめえは和七のすごさを知らんのじゃ」
どこへ行っても、町中この話しでもちきりじゃ。
もうこうなったら後へはひけん。和七は腹を決めて七日七夜の水ごりを始めた。
浜問屋と表問屋はお金をかけての大勝負となった。
いよいよ当日の朝がきた。
天神さんの石段は黒山の人だかりじゃ。
太鼓(たいこ)の合図(あいず)とともに、
いよいよ和七の登場(とうじょう)じゃ。
紅白(こうはく)のまわしに紅白の鉢巻(はちまき)、筋肉(きんにく)りゅうりゅうとした両腕に、二本の鉄棒が胸までかかげあげられた。
ありったけの力をふりしぼっている和七の顔は、まるで歌舞伎役者(かぶきやくしゃ)のようじゃった。
ど~ん、ど~ん
いよいよ開始をつげる太鼓の音があたりにひびきわたった。
和七はそのまま
すすっ
と石段の中ほどまで鉄棒を運んだ。
「おおう!」
観衆(かんしゅう)から
また一段、一段と下りだした。
腕は震え、玉のような汗がポタポタと流れ落ちる。
いよいよあと二段。
足に根が生えたように動かん。
どうしても動かんのじゃ。
「あと二段! あと一段!」
ここまでくれば、表衆(おもてしゅう)だろうと浜衆(はましゅう)だろうと関係ない。
表衆も浜衆も見物人もいっしょになって応援(おうえん)した。
とうとう力をふりしぼって、和七は、最後の一段を下りきった。
ここを左折し、石段を上ります。
どよめきの声があがった。
じゃがそれからが大変じゃ。
和七は一歩一歩、慎重(しんちょう)に下りていった。
あと五段というところになって、どうしても足が動かんようになってしもうた。
顔は火のように真っ赤になり、汗が滝のように流れ落ちる。
みんなはかたずをのんで見守った。
「もはやこれまでか」
だれしもそう思うたその時。
やっぱり和七はすごいやつじゃった。
この石段の上が福善寺です。
さて、浜衆と表衆の集まった宴会(えんかい)の席でのこと、伊平さんが言うた。
「みなさん今夜は、思うぞんぶん食べて飲んで楽しんでください。このたびのかけで私が勝ちました金は、今夜の宴会費(えんかいひ)と和七の報奨金(ほうしょうきん)にあて、あとはおじゃんといたしとうござい
(「尾道のむかし話」 西原通夫著)> めでたし、めでたし。
そう、そう、和七の墓(はか)はなあ、尾道一の大屋根といわれとる浄泉寺(じょうせんじ)の墓地(ぼち)にあるそうじゃ。
力石の形をしとるからすぐわかるんじゃと。
「わあ!」
と歓声があがると同時に、精(せい)も根(こん)もつきはてたんじゃろう。
和七はその場にばったりと倒れてしもうた。
じゃがの、五、六日もすると、和七はすっかり元気をとりもどした。
ます。みなさんいかがでございましょうか」
いっせいに拍手(はくしゅ)がわきおこり、みんな大賛成(だいさんせい)じゃった。
その夜の宴会ですっかり仲良うなった浜衆と表衆は、それからというもの、つまらんけんかをせんようになった。
(「尾道のむかし話」 西原通夫著 より)