林 芙美子
「私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない。」と書きながらも、最後は必ず強く生きますと、書いた芙美子。この感性を育てたのは、ほかならぬ詩情にみちみちた尾道の風景、風土と人々の人情、明るさにあった。苦しい時悲しい時嬉しい時も、人生という旅のふる里として恋い慕い、愛したのが「尾道」です。
「巷に来れば憩いあり人闘みな吾を慰さめて煩悩滅除を歌ふなり」林芙美予の第二の故郷尾道には彼女ゆかりの碑があちこちに点在している。
芙美子は明治三十七年十二月下関市に生れ、貧しい両親と放浪の旅を続け、大正五年尾道市に移り住んだ。そして十三才にして十幾回目の小学校尾道第二
尋常小学校(今の土堂小)五年生に編入。大正十一年に尾道高女(今の尾道東)を卒業、ただちに東京に出て女工、露天商、派出婦、女給など辛酸をなめながらも文学に心をよせ、昭和三年に詩集「蒼馬を見たり」を発表、同四年尾道が舞台となっている出世作「放浪記」を改造社から出版した。