信ずべきを疑い、疑うべきを信じる人!
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 頼朝は政治家として高い評価をされている人です。

 でも、人を信じることは苦手で、また、臆病な人だったようです。

 平家との戦いでは、戦場には行かなかったトップであり、また、京都に入ることを怖がっていたフシもあります。

 公家達にバカにされることが怖かったのか、疫病が怖かったのか、仲間の武将に裏切られるのが怖かったのか。

 もっとも、頼朝は、当時まだ生産性の低かった東日本しか統治できなかったのですから、京都に行く必要性もなかったのでしょう!
む01-08
邑井 操
 失敗したらお礼を言うことだ。失敗したからといってショボクレていたってだれも助けてくれはしない。気が沈むだけで益はない。失敗したら「やっぱりだめでした。気をつかせてくださって有難うございます。こんどはやり方をかえてみます。一つ賢くなりました」と、お礼を言わなくてはだめである。失敗したとはいえ自分の意志でやったことだ。それによって自分を認めえたのだし、それによって学ぶところが大きかったはずだ。悲観したりぐちったりするのは大バカで、世の中の妙味を味わい損なってそれこそ大損である。
か21-03
川北義則
 砂漠の真ん中で水筒に半分くらいの水しか残っていないとき、「もう半分しか水がない」と考えるか、「まだ半分残っている」と考えるかによって、生死が左右されるという。「まだ半分水が残っているから、大丈夫、なんとか生きられる」と信じれば、生き抜く気力が湧き、砂漠を乗り切ることもできる。このような考え方が、よくいわれるプラス発想なのである。
 では、どうすれば愉しいプラス発想ができるか。それには普段から、発想の転換をするクセをつけておくとよいだろう。要はいかに、頭をやわらかくおくかだ。
た01-05
竹村健一
 人間の器というのは何によって決まるものなのか。私は、人間の器は欲望の大きさによって決まるのではないかと考えている。……もっとも大切なことは、自分がやりたいことをして、人間らしく生きられるかどうかである。欲望こそが人間にプラスのエネルギーをもたらしているもとである。だから、欲望が大きければ大きいほど、あるいは欲望が多ければ多いほど、人間の器は大きくなるはずである。そこには自分の可能性の対する挑戦がある。