“信義”、低成長の江戸時代に大事にされてきたこと。
いま、高級外食産業には「信義」という言葉は死語になっていたのですね。
低成長時代のビジネスで、「信義」を失うと、やはり“破滅”ということになるのでしょうか?
いま、高級外食産業には「信義」という言葉は死語になっていたのですね。
低成長時代のビジネスで、「信義」を失うと、やはり“破滅”ということになるのでしょうか?
た01-05
竹村健一
人間の器というのは何によって決まるものなのか。私は、人間の器は欲望の大きさによって決まるのではないかと考えている。……もっとも大切なことは、自分がやりたいことをして、人間らしく生きられるかどうかである。欲望こそが人間にプラスのエネルギーをもたらしているもとである。だから、欲望が大きければ大きいほど、あるいは欲望が多ければ多いほど、人間の器は大きくなるはずである。そこには自分の可能性の対する挑戦がある。
か21-03
川北義則
砂漠の真ん中で水筒に半分くらいの水しか残っていないとき、「もう半分しか水がない」と考えるか、「まだ半分残っている」と考えるかによって、生死が左右されるという。「まだ半分水が残っているから、大丈夫、なんとか生きられる」と信じれば、生き抜く気力が湧き、砂漠を乗り切ることもできる。このような考え方が、よくいわれるプラス発想なのである。
では、どうすれば愉しいプラス発想ができるか。それには普段から、発想の転換をするクセをつけておくとよいだろう。要はいかに、頭をやわらかくおくかだ。
では、どうすれば愉しいプラス発想ができるか。それには普段から、発想の転換をするクセをつけておくとよいだろう。要はいかに、頭をやわらかくおくかだ。
サ04-02
櫻木健古
現代のビジネスマンは、人種・国籍の別なく、“企業戦士”といってもよいような本質をもっている。企業間の競争、国と国との経済戦争が熾烈(しれつ)を極める上に、私的な競争もまたあるであろう。組織の中での人間関係はむずかしいし、世のさまざまな不条理を超克せねばならないし、そして、最も深いところに「自分との闘い」がまたある。
しっかりした「生き方哲学」を身につけることが、必要となる所以(ゆえん)である。
しっかりした「生き方哲学」を身につけることが、必要となる所以(ゆえん)である。