真言宗 地蔵院
福山市鞆町後地1323-1  標高:8.7m
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 鞆城跡の高台の南西あたりに位置する「鶴林山地蔵院」。この地蔵院は、慶長年間の後半に徳川家康が立案し、徳川秀忠が発令した「一国一城令」のため廃城となった鞆城の二ノ丸の跡地に再建された、真言宗のお寺です。

 1408(応永15)年に宥真法師によって中興され、室町時代には将軍家の祈願所とされていたようです。金色に輝く本堂には、ご本尊である秘仏地蔵菩薩が鎮座。中国地蔵尊霊場第八番として信仰を集めています。また、山門や本堂脇には達筆なご説法が貼られており、じわっと心に染み渡ります。
 元和元年(1615)の一国一城令で廃城となったと言われていましたが、慶長14年(1609)、徳川家康の苦言を正則が受け入れて廃城となったというのが新説です。廃城の後は城山の北側の麓に町奉行所が置かれ、二の丸は地蔵院という寺に、三の丸は町家になりました。
 真言宗の祖「空海」は、『十住心論』というものを書いて、仏教を超えて世俗の教えから最高の教えである真言密教まで、全てを見事に体系化していきます。そこで完璧なものができてしまっているので、そこからさらに展開していくのが非常に難しかった。
 欧米と違い、日本では完璧なものは受け入れにくい面もあるようです。
 「曖昧」な部分があることで、いろいろな宗派が生まれた比叡山が日本の風土に合っているようです。
 曖昧さの中で、いろいろと新しいものが生み出されていますから。




 鞆の浦にも、事業に成功した豪商は、お寺を支援する風土があったのでしょうか。
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