東福山 清源院(曹洞宗)
厚木市三田  標高:51.8m
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 薬師如来は、修行時代に「十二の大願(たいがん)」を立て、仏となって衆生(しゅじょう)を救うことを誓いました。その大願(たいがん)とは、病気を治し健康にする、美味しい食事を食べさせる、素晴らしい衣服を与えるなど、民衆が現実に叶えてほしいと願っていることが中心です。
 死んだあとに救済するのではなく、この世で利益を授ける如来として人気を集め、飛鳥時代には信仰が広まりました。
【清源院の木造薬師如来坐像】

 三田のほぽ中央の丘陵上に、禅寺として有名な曹洞宗東福山清源院があります。この寺は、現在もたいへん大きな寺院ですが、「新編相模国風土記稿」によると、中世期末の曹洞宗の名僧天巽(てんそん)慶順
和尚(1498年没)を中興開山と記しています。
 江戸時代には、曹洞宗の相模国の中本山として僧侶の修行所・学問所という権威をもち、末寺30余か寺、孫末寺125か寺をもつ大きな寺院でした。
 本尊である薬師如来像(やくしにょらいぞう)は、体内に墨書銘があり、1580年8月、玉運浄玄が造立




したことが分かります。
 像は、寄木造で玉眼(ぎょくがん)を入れ、大粒の螺髪(らほつ)に低く鉢の張った地髪部(じはつぶ)をもち、髪際線(はっさいせん)を中央でやや下げ、充分な奥行きの側面観は小像ながら堂々としており、ボリュームたっぷりです。これらの特徴は、
室町時代の作風をよく示しているものといえます。像高は21.5cmです。
 本像の寄進者は、銘文では小田原北条氏の家臣「越智弾正忠」となっていますが、同人は、天文1552年に火災に見舞われた清源院を再建し、中興開基となったといわれています。
 また、「北条氏所領役帳」にみえる「越智弾正忠」とも同一人物である可能性が大きく、この像は、当地方の歴史を知る上で、史料的価値の高いものといえます。
 「文化財散策ガイドあつぎ」(厚木市教育委員会発行)より










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