水上山 知恩寺(天台宗)
厚木市中荻野  標高 72.6m
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【智恩寺山王大権現懸仏】
 江戸時代には、智恩寺境内にあった山王社にまつられていた懸仏(かけぼとけ)が、現在では本堂の中に保存されています。
 山王権現とは、日吉神社・日枝神社の祭神であり、権現とは仏・菩薩が化身してわが国の神として現れることを意味しています。また懸仏は銅などの円板上に、仏像・神像を半肉彫りにあらわし、柱や壁などにかけて礼拝したもので、特に鎌倉時代から室町時代にかけての資料が多く見られます。
 智恩寺の懸仏は、中央の仏像を、左右に配された猿が拝む形式であり、刻まれている銘文から寛永13年(1636)に荻野の鋳物師である森久左衛門重久が鋳造したことが分かります。
 また、銘文によると、この懸仏が60日目ごとにめぐってくる庚申の日を信仰する、庚申信仰のために鋳造されたものであり、江戸時代には各村々で必ずといってよいほど数多く結成されていた庚申講の初期の資料として注目されています。
 鎌倉時代から室町時代にかけての懸仏は、仏像を別に作り円板に取りつける形式ですが、智恩寺の懸仏は円板部と仏像を一度に鋳造するという手法であり、同形態の懸仏は、市内林・温水などでも確認されています。
 戦国時代から明治初期に至る間、下荻野は鋳物師集団の活動の地として知られていましたが、この懸仏は江戸時代初期の鋳物師である森氏の作例として貴重です。
 「文化財散策ガイドあつぎ」(厚木市教育委員会発行)より
 天台宗の開祖 最澄は、比叡山延暦寺を開き、学問や修行をする場として、非常に大きなものを残しました。人によっては、当時の「総合大学のトップ」と見なされると言う方もおられ、多くの僧侶が比叡山で学びました。法然や親鸞も比叡山で「天台浄土教」という天台宗の中で発達した浄土教を勉強していますし、道元も最初は比叡山で勉強して、山を下りてから禅宗のほうに入っていくわけです。日蓮にしても、最初は比叡山で勉強している時期がありました。




「山王権現は、最澄が鎮守として祀った比叡山延暦寺の守護神」

 山王権現とは、比叡山の麓にある日吉(ひえ)大社〔日枝神社〕のこと。最澄が開いた天台宗の根本道場、延暦寺の守護神になっています。
 日吉大社は大山咋神(おおやまくいのかみ)を主神とする古い山岳信仰の神社で、神仏習合のかたちをとって山王権現とよばれ、貴族から庶民にいたるまで、広く崇敬を集めています。
「天台教義を表す「山王」という文字の意味」

〈山王〉の山の字は縦が三画、横が一画で、王の字は横が三画、縦が一画。天台宗の教義である「三諦(締は真理)即一」の理を表すといわれています。あらゆるものごと(諸法)の本質は空であり〔空諦〕、空であるが仮に存在する〔仮諦〕、諸法は空でもなく仮でもないことを中の存在〔中諦〕という。この(三諦〉が完全に融合し、ひとつになる〔三諦即一]ところに真実の姿がある、と説いています。これは〈一心三観〉、〈一念三千〉の天台の教義を山王明神が託宣したものだというのです。
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