源氏山公園
標高 出発:72.7m
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 源氏山は、奥羽を舞台とする後三年の役(1083~1087年)で八幡太郎義家が出陣するときに、この山上に源氏の白旗を立てて戦勝を祈ったところから「源氏山」とか「旗立山」といわれるようになったといいます。

 白旗山または旗立山とよばれたこともあるようです。緑豊かな自然に囲まれ、公園のすぐわきには、鎌倉の七切通しの一つであり、国の史跡でもある化粧坂が、園内には頼朝像・広場などがあります。
 春には桜、秋には紅葉が楽しめます。
 英勝寺と寿福寺の裏にまたがる山をいう。後三年の役(平安時代後期の陸奥・出羽を舞台とした戦役)に際して東国に下った八幡太郎義家が山上に白旗を立てたという伝説に因って、源氏山・旗立山とよばれている。『詞林採葉抄』では鎌倉第一の勝地だという。この山は武庫山といわれていたようで、義堂周信の詩にも載せられている。 (大三輪)

[文献]『鎌倉志』『相模風土記』(「地誌大系」)


 今は公園として整備され、上天気の日曜などは大賑わいの葛原岡、源氏山一帯も有史以前の一時期は狩猟・漁携を生活手段とする放浪性原始人たちが出没したらしく、縄文式土器や石斧や黒曜石の石鉱などが葛原岡神社の鳥居の傍から出土していることが鎌倉市史考古編に見えている。
 将棋の升田九段を思わせる髭面の男が怪しげな鹿皮服で丸木弓か梶棒か何か持って、この辺個していたらしい。陸地は今より低く、入江はすぐ足元の笹目や扇ケ谷まで入り込んでいたから、海の幸にも恵まれた、絶好の野営地だったわけである。

(「鎌倉 趣味の史跡めぐり」  長峰五幸著  発行:光村印刷株式会社)
 源氏山は、英勝寺(えいしょうじ)と寿福寺(じゅふくじ)の裏山にまたがる山で、後(ご)三年の役(えき)(1083~1087年)で八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)が奥羽(おうう)(東北地方)上に源氏の白旗を立てて戦勝を祈ったという伝説から、源氏山とか旗立山とかいわれるようになったといいますが、寿福寺の
門前の「源氏山」刀史跡案内の石碑にもあるように、ふもとの寿福寺のあたりに源氏の邸があったからでしょう。
 鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より






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