尾道市:向島一周自転車旅
移 動 時 間:3時間32分   移動平均速度:9.7km   積 算 距 離:34.3km
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 むかしは尾道の駅前から海水浴シーズンには島の海水浴場へ旅客船が出ていた。

 当時は、ゴム草履で海水浴行きの船に乗るのが常識で、船に乗れば足首下まで海水がくるのが当たり前だった。転覆を気遣って、上の甲板には人を上がらせはしなかった。

 もちろん大幅な定員オーバーである。

 海難事故で多くの人たちが亡くなった以降は、定員がきちんと守られるようになった。
 備後地方の海水浴場は、遊泳地域の沖合に、いくつかの赤旗(樽に赤旗を立てたもの)で囲ってあった。赤旗の樽の下には“ふか(サメ)”進入防止用の網が張ってあった。

 この対策がされる以前は、毎年夏に、サメの被害が新聞に1、2件程度載っていた。足を失ったとか、死亡したとか、である。

 漁師の伝説だが、海に落ちたら六尺褌をほどき、長く(大きく)見せればサメに襲われない、がある。真偽は不明。
 振り返ると
 振り返ると
 少し走ると海水浴場が見えてきた。

 高校三年の夏休みには自転車で2日に1回ほどこの海水浴場にきていた。
 特別によい海水浴場とはいえない。安さが魅力というだけであった。
 当時は、お盆を過ぎたころから、午後3時を過ぎると海水浴場が閑散となった。
 にぎわいがあるべきところが閑散となると、“わびしさ”をよりいっそう感じる。
 私は、この雰囲気の味わいはきらいではない。

 振り返ると
 今は昼前であるが、それほど多くはないが遊びに来ている人がいる。海水浴場のにぎわいがある。家族ずれの方が多いようだ。

 子供たちの声が聞こえてくると、それほど多くの人がいなくても、にぎわいを感じる。
 そのまま、海水浴場を通りすぎる。にぎわいの声が聞こえなくなった。このあたりは視界が広いので休憩をとることにする。

 高校時代友達2人と、海水浴場の前にある無人島に泳いで渡ったことがある。
 瀬戸内海は時間によって潮の流れが早く、気をつけなければならない。渡った島の浅瀬で遊んでいる際に、川の上流域の流れくらいの早さがあった。海は、川に比べ圧倒的に水量が多く潮の流れとケンカをすると沖に流されてしまう。干満の時刻を知り、慎重に行動したい。
 そういえば「瀬戸際(せとぎわ)」という言葉がある。危険な状態の一歩手前ということだ。
 ここは「瀬戸内」、危険な状態の中にいる、ということだ。
 このあたりの瀬戸内海の潮の流れは時速10~20kmにもなる時が1日4回あり、また干満の差が3m
以上ある。

 手こぎの船の時代には、航行が大変難しい航路だった。むかしの手こぎ船で航行できるのは、潮流が時速4km以下とのこと、潮待ちしないと航行はできなかった。瀬戸内海を航行できるようになったのは、六世




紀ごろなのだろうか?

 それ以前は、日本海側の港に入り、山越えをして、山陽や近畿に出てきていたようだ。
 あの重い鉄ですら、朝鮮から船で日本海側の港に入り、山を越え、淡路島まで運び、不純物を取り除いて
いたとのことだ。

 瀬戸内海航路を開拓するには、まず、水先案内人を味方にし、そして、潮待ちの港、水と食料の供給できる港を、約20kmごとに確保する必要がある。
 動力がなかった時代、潮流が早く、岩礁が多く、し
かも干満で変化する瀬戸内海の航海は、かなり難しいものだったのだろう。
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