西郷寺(時宗)
尾道市東久保町  標高:17.9m
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 1353年の開基。本堂・山門ともに国重文で、時宗の本堂形式としては他に比類のない名建築です鎌倉時代末期の正慶年間、遊行六代一鎮によって開かれたと伝えられています。当時は「西江寺」と称されていました。

 本堂は文和2年(1353年)に発願され、時宗最古式の本堂として貴重なものです。堂内に「泣き龍天井」があり、手を打つと乾いた音が帰ってきます。

 西郷寺山門は1362~68年また1395年大一房住持の発願によって建立されたと伝える。一説に大一房は備後相方城主の夫人ともいう。板蟇股 破風 懸魚 軒などに室町時代の様式の特徴をとどめる。

 江戸時代前期頃までは、この寺の大門通りには「尼寺十二坊」があったとか、江戸中期以後、川が埋め立てられ、「西郷寺」になったという。
 尾道には時宗のお寺が六ケ寺あります。全国的に見て、一つの町にこれだけの時宗寺院が集まっているのは珍しいそうです。

 時宗寺院は、人々を分け隔てなく受け入れ、同時に「文化の発信元」にもなったという点が、この町に合ったのでしょうか。
 切妻造りの山門は四脚門(国重文)

 鎌倉時代末期の1362~68年」また1395年大一房住持の発願によって建立されたと伝える。
【民話 鳴龍天井の由来】

 尾道三山の一つ、瑠璃山のふもとに西郷寺という古寺があります。その寺を建てられた三代目の託何上人は、教えを広めるため、全国各地を巡っていかれました。
 九州肥前の国を遊行して、松浦潟の沖合を数人の弟子の僧たちとともに船で渡っておられたときのことです。海路まことに穏やかでありましたが、急に雲行きがおかしくなったかと思う間もなく、暴風雨となり、雷鳴がとどろき、龍巻きが起こりました。
 船は木の葉のように揺れて、今にも引っくり返り


そうでした。
「また龍神のやつが暴れだしたぞ」
渡海になれている老船頭が言いました。
「お客さん方、しっかり船につかまっていてくださいよ。この海には悪い龍神が住みついていて、こういう航海中の船を悩ますことがあるんですよ。じゃが、信心深い人なら大丈夫ですたい」
 しかし、みんな生きた心地はありません。そのとき、託何上人は
「おのおの方、心静かに南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏とお念仏を唱えなさい。どんな災雑に出会うのも仏道修行であります」
と申され、自らは一心に
また山ほどの財宝を海底に沈めてしまいました。数えきれない悪業非業を重ねてきました。だが今、お上人の十念仏の声を耳にして、罪業の深いことに気づきました」
 その声はいかにも悲しそうでした。龍神は続けました。
「きっとこれまでの罪業の報いがあります。地獄に落ちて猛火に焼かれるか、剣の山で身を八つ裂きにされるか、エンマ大王の裁きが恐ろしくてなりません。お上人さま、この罪障深いわたしには、もう救われる道はないのでございましょうか」
 涙ながらに救いの道を願う龍神を見て、上人はさしもの重罪の龍神とは
 正面に時宗本堂最古の遺構。
般若心経を唱えられました。みんなも震えながら、手を合わせて念仏を唱えました。
 黒雲が低く垂れこめるしけの海に龍の目が光り、恐ろしい尾が波をバシッと大きくたたきました。
 船人たちは、今は神仏の助けを待つより取りつくすべはないと、固く手を合わせ続けています。
 やがて、大波の底で異様な声が聞こえてきました。その声はだんだん近くなり、ついには龍神の姿となって船べりに立ち、こう叫びました。
「お上人さま、お徳の高い遊行上人さま、わたしは数百年来この海に住む龍であります。今までわたしは、たくさんの船を沈め、多くの老若男女の命を奪い、












 本堂(国重文)は清楚で風格のある美しい姿。

 堂内に「泣き龍天井」があり、手を打つと乾いた音(ビーンーのような)が帰ってきます。小学生の頃、子供会を本堂で行ったことがあります。
 700年の風雪を経た今も、清楚で風格のある美しい姿。

 建築家・安藤忠雄さんがこの「本堂の屋根の傾斜がいい」と言われたとか。
いえ、その真実の心をかわいそうに思われ
「それはよく気がついた。一心に南無阿弥陀仏の名号を唱えなさい。一念の称名によってすべての罪は除かれるのです。これは皆、阿弥陀如来の本願の故でありますぞ」とさとされました。
 そして、龍神は上人から「南無阿弥陀仏…六十万
決定往生」のお札を受けて海中深く姿を消しました。
 海にかかっていた暗雲が去り、風雨も治まり船は再び穏やかな海路を松浦港へと急ぎました。
 その夜のこと、泊の寺でお勤めが行われました。その一座の中に、同行のだれ一人として見覚えのない白髪の老人がおりました。老人はお経が終わるとつか
つかと託何上人の前に進み出て、深々と頭を下げて言いました。
「わたしは、今日松浦沖で、お導きを授かりました龍神でございます。おかげで苦海三熱の苦しみから救われることができたので、取り急ぎこうしてお礼参りをいたしました」








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