福善寺(浄土真宗)
尾道市長江一丁目  標高:22.3m
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 境内から千光寺が見えます。
 ロープウエイより見た福善寺。
 丹花(たんか)城 城主 持倉則秀・則保父子の墓と伝える五輪塔。

 総高:2.67m、2.68m
 この五輪塔は丹花坂の山陽本線にあたる場所にあったため、明治二十四年の鉄道敷設により現在の位置にまで担ぎ上げられたそうです。
 お猿の墓石がありました。ももを持っているのでしょうか。
丹花城主父子の墓

 14世紀、ここに丹花城があり桓武帝の系統をひく持倉修理太夫則秀と、その子則保がいたと伝えられる。
 その頃、備後で勢力のあつた杉原光平が芦品郡八尾
山城に拠つて地盤をかため、元弘の乱のさい、その後商の杉原胤平の子信平為平が公家方に属し軍功をあげ、足利尊氏から備後国木梨庄十三ヵ村を与えられ、持倉父子はその木梨杉原方についたが、血で血を洗う相次ぐ戦乱で持倉一旅はほろびてしまったのであろうか。


この猿は「桃太郎」と関係があるのでしょうか?

「桃太郎のお話」(略)

 おばあさんが川から拾った桃を切ろうとしたら、桃が自然に割れて中から男の子が飛び出してきた。桃太郎と名付けられた男の子は見る間にすくすく育ったが、一言も口をきかなかった。
 しかしある日突然「鬼退治に行く」と言い、きびだんごを持って鬼退治に出かけた。
 道中に犬と猿と雉を家来にした桃太郎は鬼の住む鬼ヶ島に上陸し、酒盛りしていた鬼どもを奇襲攻撃し、つつき攻撃。見事に鬼を退治した、と。
 
猿の座像

 高さ65cmばかりの桃をかかえた日本猿の座像。剽軽な顔、肩から腰に流れる美しい線、軽妙なタツチ、石の街ではならの逸品。
 出所について年号をはじめいっさい台座などに
残していないので不明。おそらく近くまで出没し惨殺された猿の供養に桃を抱かせたか申年にちなむ人の供養にたてられたものかもしれない。
 もしかしたら猿を祀る東久保町にある山脇神社と関係がある人かもしれない。


和算家善介の墓

 高名な和算家関孝和の十哲のひとりの墓がある。墓前の花立香炉石に算盤を大きく浮き彫りし「関流算術門弟中」と刻まれたている。
 墓石には「善兵衛の伜仙田善介」とあり、花立は明治二十一年にたてられたことから、その弟子である十哲のひとりから教えをうけた善兵衛もしくは善介が、この地で門弟をとり算盤塾を開いたのでしょう。商都として大きく発展した尾道にとって欠くことのできない人材だったのでしょう。
 クルマ用のエレベーターがあります。初めて見ました。
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