『福山市鞆の浦歴史民俗資料館』は、福山市制70周年を記念する事業として、鞆城跡の高台に建設されました。「潮待ちの館」の愛称で親しまれ、前庭では、「ひな菓子作り大会」など、様々なイベントも催されています。
館内では、歴史資料やお祭りなどの民俗資料が常設展示されており、加えて、特別展や企画展なども盛んに開かれているので、多くの学びの機会を得ることができます。
靹港を見下ろす小高い丘に築かれた平山城(海に直面したので、海城ともいいます)。本丸の跡地は、現在「福山市靹の浦歴史民俗資料館」の敷地となっています。
戦国時代、靹の浦を根拠地にしていた毛利元就が、備後を領有した尼子氏に対抗して、築城したと推定されています。
その後、天正元年(1573)、織田信長によって京を追われた室町幕府最後の将軍・足利義昭は靹城に入ったと言われています。
慶長5年(1600)、安芸・備後の領主となった福島正則によって再築城されて、石垣と城下町をもった本格的な近世城郭に生まれ変わりました。
新しい靹城は、山上の本丸、南中腹に二の丸、さらに海に面した平地に三の丸を連ねた新型の海城でした。
その縄張りは現在の靹の浦の西半部を占め、城下町は城山の北側に侍屋敷を、東側に町家を設けていたと推定されます。靹の浦の西方の山裾に現在も並ぶ寺院群は、その城下町の北西を守備するために設けられたようです。
元和元年(1615)の一国一城令で廃城となったと言われていましたが、慶長14年(1609)、徳川家康の苦言を正則が受け入れて廃城となったというのが新説です。