八幡宮
相模原市南区磯部  標高:54.9m
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 山伏が険しい山中を道場として困難な修行を積み、その修行から会得した呪術によって病人などに加持祈祷を行うもので、近世に至るまでの民間信仰において修験者の影響力は非常に大きかったといわれています。
 1907年境外地(山林)は神社風致林として宮内省御料局より拂下げを受けました。1923年3月老朽に伴い氏子の奉賛により社殿を新改築。1935年9月27日新磯村の総鎮守として指定村社に列せられ法律の施行により1953年7月宗教法人となりました。
 1982年10月東京電力株式会社の送電線神社用地上空通過に伴う神社補償料にて、御社殿、末社、鳥居、石段、手水舎等の改築しました。
 当社では山伏の修験が行われ江戸時代には沢山の家業繁昌厄除が焚から又この地域は大山詣りの宿場のため境内は非常に賑ったと伝へられます。
 当時は対岸の依知、山際等からも参拝があり特に火渡りの護摩が有名でありました。
 1868年神仏混淆の禁令により別当職が解かれ八幡大神と称しました。1873年村村社に指定されました。1893年の神社明細書には氏子数(上磯部、下磯部勝坂)で229戸と記してあります。



 延文十年三月(1478年)太田道灌勢により陥落するまで磯部地内には城(城主長尾景春)があり、記録によると文禄三年(1594年)当時には八幡宮は幕府から社領十石を与へられておりました。享保十八年(1733年)七月十五日別当磯幡山神宮寺廿世仏像院快省法印参詣し毎年八月十五日に角力を興行にしておりました。




 境内には三社神、金刀比羅神社、山神宮、疱瘡神、稲荷社などが点在しています。
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