祭神:応神天皇 ( おうじんてんのう )
磯部八幡宮はもともと源氏の氏神であるとされ、境内には三社神、金刀比羅神社、山神宮、疱瘡神、稲荷社などが点在しているほか、御神像の仏弥陀が奉斉されています。
神社の創建時期は明らかでないが、1358年以前にはすでに旧磯部村の鎮守としてこの地で民衆の信仰を集めていたと見られています。
この社を開いたのは鎌倉から来訪した山伏祐圓で、別当は小田原玉瀧坊觸下の佛像院磯幡山神宮寺。1478年、太田道灌勢により陥落するまで磯部地内には城(城主長尾景春)がありました。
江戸時代には当社では山伏の修験が行われ、沢山の家業繁昌厄除の護摩が焚かれた。また、この地域は大山詣りの宿場のため境内は非常に賑わったと伝へられています。当時は対岸の依知山際等からも参拝があり、特に火渡りの護摩が有名でした。
明治始めの神仏混淆の禁止令により別当職が解かれ八幡大神となった。
1923年3月老朽に伴い氏子の奉賛により社殿を新改築し、1985年、電線神社用地上空通過に伴う神社補償料にて御社殿末社鳥居石段手水舎等の改築整備しました。
延文元年(1356)以前に創建され、祭神として応神天皇を祀り、旧磯部村の鎮守となっていましたが、現在では上磯部の鎮守であり、下磯部は御嶽神社を、勝坂は石楣尾神社を祀るというように旧磯部村が3地区に分かれて神社を祭祀しています。
境内には三社神、金毘羅神社、山神宮の疱瘡神社、稲荷社が階段中腹にあり、樹齢500年といわれる大イチョウの前の石段を上りきると昭和60年に新築された社殿があります。
また、石段の右手には江戸初期に製作された檜寄木造と玉眼で造られた不動明王座像(昭和62年に市指定重要文化財)を安置する護摩堂もあります。
江戸時代に作られた不動明王像。
檜の寄木造、漆箔、玉眼嵌入で、高さは57.5cm。像の胎内には種子一字を墨書した紙片がある。
右手に持つ鍛鉄剣の身に「願主 溝呂木助七 田所信吉」、茎(なかご)に「相州住正国」の刻銘があります。
石段の右手に江戸初期に製作された木造の不動明王坐像(市指定重要文化財)を安置する護摩堂がありますが、わずかにそれがこの神社が修験道場であったことを物語っています。