江戸時代の末期、伊賀国粟津の義仲寺(ぎちゅうじ) (俳聖松尾芭蕉の墓のある寺)で刊行された諸国翁墳記(おおふんき) (芭蕉の句を彫った碑の所在記録)に旧愛甲郡に3基の芭蕉の句碑が記載されています。相州八菅(はすげ)山光勝寺境内、相州の荻野石神大明神境内、萩塚、相州猿ケ島本立寺境内猿塚の3基で、完全に現存しているものは厚木市猿ヶ島本立寺境内のみです。
年々や 猿にきせたる さるの面ばせを
愛川町八菅山の句碑は安政の地震で壊れ、再建されたものであり、厚木市上荻野の荻野神社の句碑は破損して、その一部が残っているのみです。猿塚の句碑は、天明8年猿ヶ島村の俳人、五柏園(ごはくえん)丈水社中によって建立されました。
「厚木の観光ポケットブック」(厚木市観光政策課発行)