この銅鐘は、銘文によると、1350年に、鎌倉の大楽寺を開いた沙門公珍と寺の援助者である二階行珍が、清原宗廣という鋳物師に造らせたものです。この清原氏は、市内では飯山金剛寺の銅鐘、平塚市金目の光明寺、伊勢原市の高部屋神社の鐘なども鋳造しており、中世に飯山に在住した鋳物師と考えられています。
この銅鐘は、もと鎌倉の大楽寺のものでしたが、縦帯に刻まれている追加の銘文によれば、1459年に、願主の越州大守橘沙弥道建が買取り、依知の富士宮(この浅間神社)に納めたことが分かります。
大きさは、総高116.7cm、口径70cm、厚さ7.5cm、全体として胴がふくらみを帯び、龍頭はかなり立体的で表現に鋭さが見られますが、宝珠は破損しています。乳は5段5列、上帯文様は雲形文、下帯は唐草文様で作られており、中世の銅鐘として美術的にも優れています。
なお、昔は激しい日照りの折に、雨乞いの行事として相模川に沈められたといいます。
「文化財散策ガイドあつぎ」(厚木市教育委員会発行)より