聞修寺
厚木市小野  標高:64.8m
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 室町時代の初め足利尊氏の尊茶の仏事を勤めた紀州(和歌山県)興国寺の住職思賢が建立したもので、古くは三十四の子寺(塔頭)が、その付近に所在した大伽藍でありました。
 戦国時代の末、後北条氏が七沢城功撃の時、大規模な諸堂伽藍を炎上させてしまったと言われ、この時、焼失を免がれたのはこの山門のみで、江戸時代の初め寛永年間に南窓和尚により再興されたが、明治初年檀家の大部分が神武葬祭に代ったため、再ぴ廃寺になってしまいました。
 山門は、大脚門で田舎(いをか)の寺院としては、素朴な建築様式者関係の家紋彫刻が取り付けられており、紋章は古様式を型ブック」(厚木市観光政策課発行)よ取っています。  「厚木の観光ボケット」より