蓮久寺は厚木市の長永山のふもとに位置する身延山久遠寺の末寺で、開山は最上院宗明日宗上人。
上飯山の落人伝説(小鮎地区)
厚木市上飯山に川田姓の家が十数軒あります。この川田一族に次のような落人伝説が伝えられています。
時代は約八百二十年背のこと、奥州平泉泉に逃れた源義経が衣川で鎌倉の軍勢に討たれましたが、このときに義経をかくまったという理由で、藤原泰衡も頼朝の怒りをかって殺されました。泰衡を討ったのは彼の郎従・川田次郎でした。後、頼朝は川田次郎の行為を責め、鎌倉に呼びだし、次郎を斬るとともに川田一族を罰しようとしました。それを知った川田一族の兄弟三人(太郎、次郎、三郎)は、逃れて上飯山梅ヶ沢(俗に砂場という)の地に住むことになりました。後に次郎は菩提(現小字 尾台)に、三郎は清川村煤ヶ谷舟沢に移住したといいます。また、後世、砂場に住んでいた人々は土砂崩れによって、岩板・矢の入(矢根入)に移ったともいわれています。
舟沢にある蓮久寺の裏山に洞穴があって川田三郎が住んだという伝えもあります。また、同所川田義丸氏の庭に武士時代の乗馬を忘れかねてまたがったという馬の背のような石があるそうです。
さらに、川田三郎は伯耆(ほうき)と称したことから、箒は祖先の名に通ずるということで、箒をまたいだり足蹴にしたりすることを禁忌としているということです。
(「厚木の口承文芸」より 発行:厚木市教育委員会)