鐘ケ獄(標高561m)の名は古くから知られ浅間山とも呼ばれています。昔、竜宮から上げた鐘をこの山に収めたという伝説や、戦国時代に上杉定正の居城となった七沢城への合図のために鐘が置かれたと言われています。
鐘ケ撤山頂付近には七沢浅間神社が建立されています。この神社の創建については明確ではないが、上杉定正が心からこの神社を崇敬し、社殿の造営を行いました。
七沢浅間神社は古来から、養蚕・子宝・:安産の神として信仰されてきましたが、
明治六年(1893)この浅間神社に旧七沢村の鎮守社であった八幡宮と曰枝神社を合祀して「七沢神社」と改め、、「村社」となって現在に至っています。
(「玉川の歴史と民話を21世紀に」より 発行:玉川地区協議会)