妙法寺のあたりから安国論寺(あんこくろんじ)・長勝寺(ちょうしょうじ)にかけての地域は、名越(なごえ)の松葉ケ谷といっています。鎌倉時代には弓のけいこのための的場(まとば)があったので的場ヶ谷(まとばがやつ)と呼ばれていたようですが日蓮(にちれん)が安房(あわ)(今の千葉県)より鎌倉にきて、この地に「御小庵(ごしょうあん)」を作り布教を行っていたころ、松が多いところから松葉ケ谷と呼び改めたといわれています。
日蓮が鎌倉で法華経(ほっけきょう)を広める足場にした松葉ケ谷の草庵は、日蓮に反感をもっていた鎌倉の僧や武士達によって、1260年(文応元年)焼き打ちされました。これを「松葉ヶ谷法難(まつばがやつほうなん)といっています。
鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より