前田利家の側室千代保の方(寿福院)の供養塔。
千代保の方は、加賀前田家三代利常の母で、熱心な日蓮宗信者であった。
日蓮上人の像
源頼家卿嫡男 一幡君御廟所
一幡(いちまん)は比企(ひき)一族に守られて、将軍の子どもの館と見られる「小御所(こごしょ)」に立てこもり防戦しましたが北条義時らの兵に攻められ、ついに火を館に放って自害しました。のち遺体を灰の中
からさがしましたが、わずかに小袖のはしだけが残っていたのを見つけ、ここに埋めたと伝えられています。
鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より
窮状を訴えたところ、釈迦は末っ子を隠してしまいます。鬼子母神は狂ったように捜しましたが見つかりません。悲嘆に暮れていると釈迦が現れ、「五百人のなかのひとりを失っただけで苦しいのだから、食べられた子の親はどれほど悲しかったか」と諭し、子を返しました。その後、鬼子母神は仏教に帰依し、善神となったのです。いまは子を護る神として、子どもに囲まれた天女で表されます。
(「イラストでわかる『日本の仏さま』 日本の仏研究会著より」
比企能員公一族 四基の五輪塔 左 能本公石塔
石造鬼子母神像。
鬼子母神は法華経の守護神。
鬼子母神は、サンスクリット語名のハーリティを音写して訶梨帝母とも呼びます。もとは、ガンダーラ国のパーンチカ(般闇迦夜叉(はんじゃかやしゃ))という鬼神の妻でした。夫妻には五百人の子がいたそうです。鬼子母神は他人の子を奪ってきては食べるという悪行を繰り返していました。困った人々が釈迦に