次
頁
へ
右カーブ。
「二十五坊(にじゅうごぼう)旧蹟」の史跡案内の石碑があります。この奥一帯が鶴岡八幡宮に仕える供僧(ぐそう)達が住んだ、二十五坊(院)跡で、御谷(おやつ)とも呼ばれます。
1191年(建友2年)に、源頼朝によってここに二十五菩薩をかたどって二十五坊が作られ、1415年
(応永22年)、院宣(いんぜん)によって「院」と改められました。院宣とは、上皇や出家した法王の命令文書のことです。その後、少しずつさびれ7院まで減りましたが、徳川家康によって再興され、12院になりました。しかし、明治になって、神仏分離が行われたとき、すべて廃止されてしまいました。昭和になると
次
頁
へ