左
下
段
へ
先ほどのガードを戻り、真っ直ぐに。
広めの道に出ます。右へ。
くられていました。その後、船着場ができると、遠くから材木などを運ぶのに便利なところとなり、鎌倉の建築資材の集散地として一層にぎわい、多くの材木商人がこの地に住みつきました。鎌倉時代の後期から室町時代には、材木商人の座もつくられていたといわれます。
その材木座があったところから、地名となったようです。江戸時代には、材木座村と呼ばれていました。現在も町名として使われています。頼朝が由比の若宮を元八幡から現在の鶴岡八幡宮の場所に移したときには、人々が海岸に着いた細目を荷車に積んで、大綱をもって木遣り音頭も勇ましく、鶴岡八幡宮まで引いて
いったと伝えられています。
鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より