鎌倉駅 西口(江ノ電側) → 東口(JR側)へ
距離:187m  標高 出発:6.2m 到着:6.4m 最高:6.4m 最低:3.0m
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 鎌倉のシンボルとして市民に親しまれてきたJR「鎌倉駅」のトンガリ屋根の時計塔が、化粧直しをして西口広場に1983年(昭和58年)に移されて設置されてから、広場も小公園風に作り直されました。
 広場の奥に建てられた時計塔は、高さが約9.4m、コンクリートの台座は、外壁に明るい黄土色の群馬県の多胡石(たごいし)が張られた4本脚です。トンガリ屋根の銅板も替えられ、直径1mの時計も太陽電池式に改め、時計の下部も板張りから旧駅舎の天然スレートに張り替えられています。
 時計塔の右奥に、「時
で刻まれた下に、日本語と英語で、記念碑を立てた由来が記されています。
 ウォーナー博士は、第二次世界大戦中にアメリカにできた「戦争地の美術及び歴史遺跡の保護救済委員会」で、東洋と特に日本美術の専門として、京都・奈良とともに、国宝館や円覚寺舎利殿・大仏などがある鎌倉など全国のいろいろなところを空襲から守ったといわれ、ウォーナー博士により、空襲から守られた各地に、同じような記念碑があります。
 「鎌倉駅」東口に通じる地下道に、漫画家横山隆一(よこやまりゅういち)が描いた鎌倉カーニ







 右に入ります。
計塔の由来」と題する自然石の石碑が立っていて、はめ込まれた銅板に次のようなことが書かれています。
 「大正5年に建てられた鎌倉駅の改築が決まったとき、長く馴み親しんできた市民は駅舎の取りこわされるのを惜しみ、駅に取り付けられていた時計台だけでも残したいという声がおきた。青年会議所の街頭募金
などもあって、大きな市民運動となり、この時計塔として残った。
 時計塔の左手、地下道への通路側に、ウォーナー博士の長方形の記念碑が立っています。博士の円型レリーフの胸像と「文化は戦争に優先する ラングドトン・ウォーナー(米国)1881~1955」と横書き








 地下道を抜けた右側がJR側の駅です。
バルの絵で飾られる「鎌倉ギャラリー50」があり、市内の小・学生や市民などの作品が展示されています。

 鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より