金宝山 浄智寺(臨済宗円覚寺派)
鎌倉市山ノ内1402 標高 39.1m
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やぐら

 この横穴は古くは住まいとして利用。その後墓所に使われたり、倉庫として使われました。















(ごりょうじんじゃ)の福禄寿(ふくろくじ)と、弁財天は重なりますが、江島(えのしま)神社の弁財天です。

 鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より
 境内の一角の洞窟には、鎌倉・江の島七福神の一つの布袋尊もまつられています。
 仏殿前から奥に進むと、高野槙(こうやまき)や沙羅双樹(さらそうじゅ)といわれている白雲木(はくうんぼく)などの樹木がおいしげり、墓地の脇を通って境内を一巡できるようになっています。また、境内の一角の洞窟には、鎌倉・江の島七福神の一つの布袋尊(ほていそん)もまつられています。
 鎌倉・江の島七福神とは、鶴岡八幡宮(つるおかはちまんぐう)の弁財天(べんざいてん)、浄智寺の布袋尊、妙隆寺(みょうりゅうじ)の寿老人(じゅろうじん)、本覚寺(ほんかくじ)の恵比寿(えびす)、宝戒寺(ほうかいじ)の毘沙門天(びしゃもんてん)、長谷寺(はせでら)の大黒天(だいこくてん)、御霊神社




 七福神信仰は、鎌倉時代、日本古来の守り神「恵比須」の信仰に仏教の「大黒天」が加わってペアで祀ったのがはじまりらしい。
 次に加わったのが、異説もあるが弁財天で、その後、室町時代にかけて三神の信仰が庶民に深まると、「毘沙門天」「布袋尊」「福禄寿」「寿老人」の
四神が加えられ、七福神として信仰の対象になったといわれている。
 また、アーリア人の神で計量、契約の神ミトラ教が弥勒(みろく)教となって日本に入って来た後、江戸中期に弥勒講が成立する過程で、庶民の間に日本版ミトラ七神ができたのが七福神だという説もある。


七福神の一つの「布袋尊」
 中国,唐末・後梁の禅僧。肥えた腹を露出し,日常生活用具を入れた袋を背負い杖 を持って市中を歩き,人の運命や天候を予知したという。生前から弥勒の化身といわれた。日本では円満の相が尊ばれ,七福神の一人として信仰されるようになった。




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