八雲神社の境内には、「晴明石」という石がまつられています。「晴明石」は、もとは十王堂橋(じゅうおうどうばし)の近くの道路の真ん中に埋まっていました。この石を知らずに踏めば足が丈夫になり、知っていて踏めば足が悪くなったり病気になったりするといわれていました。また足が悪くなった人は、石を清水で洗い塩やお線香をあげて拝むと、治るとももいわれていました。この石を村の人達が大事にしているので山ノ内には、大火事がないのだと、人々は信じていました。そこで毎年4月14日日、お供え物をあげてお祭をしたそうです。
たという記録も残っています。
また、「北鎌倉駅」からバス通りを鎌倉方面に行き、浄智寺(じょうちじ)前の略切友渡った右側にも「清明石」といわれるものがまつられています。
鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より
上から見下ろすと。
道路工事のため掘り起こされ、神主にお祈りをしてもらい、八雲神社の境内に移されました。この石は、平安時代に安倍晴明(あべのせいめい)という天門や暦を使って占いをする陰陽師(おんみょうじ)がいましたが、晴明が残したものだという伝説があります。火難よけ、災難よけの神の石として信仰を集め、この石を
汚したりいたずらしたりすると、そのたたりによって、その人が大難を受けるといって、礼を厚くしてまつったといいます。
やはり阿倍晴明が残したといわれる「晴明井戸」も十王堂橋近くの民家の敷地に残っており、「晴明石」と共にかつて大船の多聞院(たもんいん)が所有してい
陰陽道の基礎は、道教を通じて日本にもちこまれた、古代中国の自然哲学、「陰陽五行思想(おんみょうごぎょうしそう)」でした。
これは、自然界の万物は陰と陽の両面をもち、同時に、木・火・土・金・水という五つの元素からなると説く思想で、複雑にからんだその構成を読みとく
ことで、森羅万象を説明します。
さらに陰陽道には、現象を操作するという技能もふくまれていたので、朝廷はこれを重んじ、「陰陽寮(おんようりょう)」という専門機関を設けました。
この機関に属する「陰陽師」たちは、呪術・占術で、政権を支える存在になっていきます。
とくに彼らの活躍がはなぱなしかったのは、安倍晴明(あべのせいめい)などの高名な陰陽師が登場する平安時代(794~1185年ごろ)でした。
(「開運!パワースポット「神社」へ行こう」 一条真也 監修/造事務所 編著より)