左
下
段
へ
真っ直ぐ、ゆるやかな道を下ります。
華かな半生を送った後、神経痛になやまされ、尾道が療養に適した地であると親戚から聞かきれ大正九年初頭尾道に転居、今は廃寺となっている筒湯小下の吉祥坊の一室に仮寓、境内で大弓をひき独り慰め、近所の子供集めて角力をとらせ楽しむなど悠々たる日々を送った。しかし病状は悪化、名医の誉れ高い土堂、
村上病院長の故村上嶺二医師や嗣子孝之らの手厚い看護もむなしく大正十一年十二月二十三日、五十七才をもって逝去。一説には肺結核であったといわれている。
1950年代までこの斜め上にあった建物で療養していたのでしょう。