【玉の浦の地蔵】
むかし、たいそう貧しい夫婦がおりました。夫婦は食べ物にも困り、毎日を暗い気気持ちで暮らしておりました。
そんなとき、女房が身ごもったのです。夫婦にとってこんなにうれしいことはありませんでしたが、食ぺ物のない生活に男は煩をかかえこんでしまいました。
「こんな暮らしが続いたら、おなかの子は育たんかも知れんのう」
困りはてた男は、とうとうお寺のお供物をぬすんで女房に食べさせ始めました。
来る日も来る日も男はぬすみをはたらき、おなかの子は順調に育ちまし
男は痛む足腰をさすりながら、お地蔵さまを家に持ち帰って大切にまつり、子どもの無事を祈り続けました。
それから十年、子どもはすくすくと育ち、夫婦にとって何にもまさる宝物になりました。
ところがある日のこと、夜になっても子どもが帰ってきません。
『寿命は十歳。玉の浦へ沈む』
の文字が男の頭の中をかすめます。男はもう観念しました。きっと玉の浦でおぼれ死んだにちがいないと思い、女房に葬葬式の用意を言いつけて、玉の浦へ急ぎました。
男は声のかぎりに子どもの名を呼びながら、岸壁ぞいに走りました。す
た。そして、女房はまるまると太ったかわいい男の子を産んだのです。
赤子が誕生したその日も、男は寺へお供物をぬすみに行き、ついでに紙に包んだままのお賽銭までもぬすみました。ところが、賽銭を包んであった紙に
「子どもの寿命は十歳。玉の浦に沈む」
と書いてあったので、おどろいた男は大急ぎで寺にもどり、今までの罪を深くおわびしました。
「何と私は罪深いことをしたのだろう」
男は反省し、心を改めての帰り道、お地蔵さまにつまずいて転んでしまいました。
「ああ、罰があたったんじゃ」
ると、月明かりに照ららされて、岸に何か黒いものがぶらさがっているのが見えます。もしや……と、急いで近づいてみると、やはりそれは自分の子どもでした。縄でくくられ、宙づりになっているのです。
「おい、しっかりせえよ。もう大丈夫じゃ」
男は子どもをはげましながら、縄をたぐりよせました。
「どうしてこんなことになったんじゃ」
ほっとしてうれしさの余り、男は子どもをだきしめて大声で泣きました。子どもも一緒に泣きました。しばらくして、おちつきをとりもどした男は、子どもがくくられ宙づりになっていた縄の
んとそれは毎日拝んでいたお地蔵さまだったのです。
ありがたいお地蔵さまのご利益のおかげで命びろいした子どもは、その後何事もなく成長し、玉の浦一の信心深い人になり、人々のために尽くすようになったそうです。
尾道民話伝説研究会 編「尾道の民話・伝説」 (2002年5月刊)より転載
尾道水道、西方向の景色。
もう一方のはしをみてハッとおどろきました。なんとその縄のはしはお地蔵さまにまきついていたのです。
男と子どもは何度もお地蔵さまに手を合わせて家に帰りました。
葬式の用意をしていた女房は、子どもの元気な姿を見て、それはそれはおどろきました。
「ああ、よかったよかった。早よう家のお地蔵さまにもお礼を……」
と、三人がお地蔵さまを安置している所へ行ってみると、不思議なことにお地蔵さまがありません。
男は大急ぎで玉の浦へ走り、子どもを助けてくれたお地蔵さまを持ち帰ってあかりの下でよく見ると、な