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クルマがなんとかすれ違える道幅です。道なりに行きます。
【伝説 三軒家の下り松】
三軒家は字のとおり、むかし家が三軒しかなかったでその名が付いたといわれています。
則末が海辺であったころ、栗原の八幡宮のところを一軒家、医師会館あたりを二軒家、済法寺より南を三
軒家と呼んでいました。三軒家は山のきわまで波が打ち寄せていたそうです。
むかし、御調郡と尾道との境はずっと海辺に近く、そこには「下がり松」と呼ぶ大きな松の木が一本ありました。
田畑の中のデコボコ道をわらじばきで歩いて来た旅
人たちは、この下がり松が見えてくると、尾道の町が近いとひと安心し、足どりも軽くなったそうです。そして、下がり松に着くとひと休みし、松の根元にわらじを脱ぎ捨て、持ってきた下駄にはき替え、尻からげもおろし、町に入ることにしていたようです。
町から出るときも、この下がり松ではきものを替え
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酒屋さんの先を右に入ります。
て旅立っていました。
旅人の憩いの場となり、日印でもあった下がり松は、道路拡張工事でなくなりましたが、三軒家という地名は残りました。
尾道民話伝説研究会 編「尾道の民話・伝説」
(2002年5月刊)より転載