“正しさ”は、その状況の中で正しいのだ!
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 「“正しさ”は、状況によって変化すべき」と考えるか、「“神が正しい”というもののみが正しい」とするか。

 ずるいのかもしれませんが、両方とも正しい、としたほうが“生きやすい”のかもしれません。

 そんなことは“どうでもよい”が“悟る”ことなのでしょうか?

 “悟る”ことまで含めて、「どうでもよい」このなのでしょうか?
か05-10
加藤諦三
 この本は親子の問題を論じているが、同時に、それを通して自分の潜在的な可能性をどう実現するかを考えたものである。自分が幼い頃に受けた心の傷を無視して生きようとすれば、必ず生きることへの無意味感や、劣等感に悩まされる。心の傷に生涯支配されてしまうのだ。私もその一人であるが、小さい頃「よい子」であることが幸福の条件であると思い込んで、自分の本性を裏切り続けてきた人がいる。そこで、そういう人のために、人間にとって最善の生き方とはどのようなものか考えていきたいと思う。
そ01-12
曽野綾子
 「冒険は老年の特権」「一人の人間としてやるべきこと」「会った人間の数だけ賢くなる」「みごとな身辺整理」「魂は中年に成熟する」「不自由には按配を」「私の道楽」---。本書は、著者のエッセイ集の中から、50代以降の人生を豊かに自分らしく生きるヒントを集めた箴言集。"年を取るほどに人生をおもしろくする知恵""晩年を美しく生きる知恵""深く愛し愛される知恵"など、自信と希望が湧いてくる一冊!
か05-29
加藤諦三
 自分を嫌いな人は何を得ても幸せになれない。「あなたが得ているもの」はあなたの顔であり、能力であり、体である。つまり実際の自分である。幸せとはあるがままの自分を愛せることである。「あるがまま」が許される、それが幸せである。失敗しても、それでいい。人間関係もお互いに嘘がない。
 「今の自分でいいんだ」という無理のなさが幸せを呼ぶ。成功は自分の力かもしれないが、幸せは「今の自分でいいんだ」という無理のない人間関係にある。そしてそうした幸せが続けば人は活力を得る。