参考にした書籍
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ワ02-01

指導力の研究
 渡部昇一の述作は常に明快であり、誤解の余地なく率直に説き進められている。その文体は一貫して明朗闊達であり、直接の読者へ語りかける呼吸を失わない。なかでも本書は座談会的な発想が躍動し、読者を飽かせぬ話術が見事である。
渡部昇一

カ06-03

「東京」の社会学
現代の東京は様々な姿で江戸の面影をとどめている。それは天下普請以来の都市改造がすべて部分修正にとどまり、一度もマスタープランの実現されたことの無い都市だからである。こころみに、寛永末期の地図をもって銀座を歩くがよい。370年以前の銀座八丁の町割は、今も八町で基本街路区分は変わっていないのである。東京は欧米にならった近大都市であると同時に,アジア的都市空間の猥雑さと、江戸の伝統をとどめる不可思議な都市である。
加藤秀俊
き11-08

四十歳からでは遅すぎる
 「当たらず障らずの人生は、一見いいように見えて、実は非常に損が多い。人と当たったり、人と障ったりして、初めての人生の意味を考えるきっかけに出会えるものだ。そうして自分自身にも変化がおとずれる。そうなって初めてこの本を読んで得をしたと言える。
 「ドラ息子というのは、昔は金持ちにだけいると思ったら、近頃は貧乏人間にもドラ息子がいる」。このドラ息子というのが自分自身だと気づけば、この本を買って得をしたと言えるだろう。
邱 永漢
イ06-03

中国故事に学ぶ 将たるものの行動学
一時の寂寞、万古の凄涼
「菜根譚」の第一番目にあたる言葉である。(中略)この解釈は省くが、井原さんはこれについて二つの経験を述べている。埼銀時代のこと、コンピュータ導入について十一人のうち十人が反対、賛成は井原さん一人であった。
常務時代には孤立して今に退任するだろうとまで噂された。それが今日においてはどうか。今やどの銀行もコンピュータを導入している。井原さんの意見は結局は受け入れられた。先見性の勝利であり、まさに“一時の寂寞であった。
井上隆一
ア01-04

よみがえれバサラの精神
(バサラの意味する)「思いのままに行動する」というのは、まさにその言葉通りに、「まま(侭)」なのであり、人事を尽くす、ということにほかならない。中途半端に放縦放蕩をやるのは単なるふしだらであって、バサラとは程遠い、途方もなく生きる、それはすでにして生きることそれ自体への執着をなにほどか超越しているのである。おのれの生=死を一個の冗談に、ただし死活の覚悟に発する冗談にまで昇華させてしまうのがバサラだといえよう。
会田雄次
“中産階級の弱体化”が社会混乱のもと!