鞆の港 常夜灯
福山市鞆町鞆  標高:2.6m
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「太平記」を足掛かりに歴史をひもとくと~。

 後醍醐天皇は奈良・吉野に移り(南朝)、長い南北朝の戦いが始まった。鞆の浦が戦場になったのは1342(康永元)年5月。鞆や尾道の北朝船団1,000隻が南朝方伊予(愛媛県)の船団500隻に戦いを仕掛け、鞆沖で大海戦となった。
 しかし、戦中の激しい突風が南朝方を山陽側へ、北朝方を四国側へと互いに敵地へ運んでしまう。南朝方はこの不慮の事態を利用。一気に鞆の浦に押し寄ぜ、北朝方の大可島城を占領した。これに対し北朝方は3,000騎の兵を集めて小松寺に着陣。戦いは十数日続いたという。北朝方の勝利は南朝方をほぼ制圧した歴史的な意味を持つが、鞆の寺社、家並みの多くが焼失した。



 鞆港西側の雁木(がんぎ)に出てきます。雁木は潮の干満に応じて、どの潮位でも船を着けられるようにする石階段です。このあたりの潮位は3m以上になります。満潮時には雁木の上の方が岸壁となるんですが、潮が引くにつれて1段ずつ下の方の雁木が使われて、干潮時には最下段が役に立ちます。
 雁が飛んで行く時に折れ線状に編隊を組ことから、その雁行に形が似ていることから雁木と呼ばれるようになったようです。
いろは丸展示館:
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