「太平記」を足掛かりに歴史をひもとくと~。
後醍醐天皇は奈良・吉野に移り(南朝)、長い南北朝の戦いが始まった。鞆の浦が戦場になったのは1342(康永元)年5月。鞆や尾道の北朝船団1,000隻が南朝方伊予(愛媛県)の船団500隻に戦いを仕掛け、鞆沖で大海戦となった。
しかし、戦中の激しい突風が南朝方を山陽側へ、北朝方を四国側へと互いに敵地へ運んでしまう。南朝方はこの不慮の事態を利用。一気に鞆の浦に押し寄ぜ、北朝方の大可島城を占領した。これに対し北朝方は3,000騎の兵を集めて小松寺に着陣。戦いは十数日続いたという。北朝方の勝利は南朝方をほぼ制圧した歴史的な意味を持つが、鞆の寺社、家並みの多くが焼失した。