麾尼山 大観寺(真言宗)
福山市鞆町後地甲1217-1  標高:6.4m
ウォーキング地図へ
 麾尼山大観寺は昭和初期に、増福寺・玉泉寺・地福院・宝嚴寺・常喜院の五ヶ寺を統合した寺院である。

 増福寺は、永禄年間(1558~1569年)に、玉泉寺・地福院(江戸初期は泉蔵坊)は天正年間(1573~1591年)に再興されたと伝えられる。宝嚴寺(江戸初期は長福寺)と常喜院は慶長10(1605年)年頃の建立と伝えられる(『あくた川のまき』天和3(1683)年)。

 再々、朝鮮通信使の上官の宿舎になった。江戸時代は真言宗明王院末寺。
「福山の大観寺が全焼 市重文「菩薩立像」も焼失」
 
 2014年5月1日午後9時ごろ、福山市鞆町の大観寺から出火、木造の本堂、庫裏、倉庫など計約400平方メートルを全焼し、本堂にあった市指定重要文化財「木造地蔵菩薩立像」も焼失した。

 市文化課によると、大観寺は昭和13年に周辺の5つの寺を統合し建立された真言宗の寺。木造地蔵菩薩立像は47年に市重要文化財に指定された。畑信次重伝建文化財担当課長は「所有者と大切に保存してきた。こういうことになり大変残念だ」と話した。

 空海は「弘法大師」の名で知られた真言宗の開祖です。讃岐(さぬき)(香川県)出身で、十五歳で上京。大学に入学し儒学を習いますが、中退して出家、仏門に入ります。
 三十一歳のとき、唐に渡って密教を学び、二年後に帰国。その後は嵯峨天皇より高野山や東寺を
賜(たまわ)り、密教の研究に没頭し、そして真言宗を開きました。
 また、庶民のための学校を創設したり、溜池を整備するなど、公共的な事業にも力を入れました。






本願寺へ:  顕政寺へ:  沼名前神社へ:  小松寺へ:
1頁へ  2頁へ