壽福山 顕政寺 (日蓮宗)
福山市鞆町後地  標高:3.8m
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 足利尊氏は1335(建武2)年10月、多くの武士に押され、天皇方に対して挙兵した。鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇が始めた朝廷貴族中心の政治(建武の新政)は武士層に恩恵が少なく、不評だったからである。しかし、朝敵のらく印を押されて士気が上がらず、翌年2月には
新田義貞や楠正成ら朝廷軍に大敗。九州に落ちのびることになった。失意の中、立ち寄ったのが鞆の浦である。投宿した小松寺で、後醍醐天皇の討伐を命じた光厳上皇の院宣を受け取った。
 当時、朝廷内は後醍醐天皇派(大覚寺統)と、前天皇の光厳上皇派(持明院統)に分裂していた。
 尊氏と軍勢500人にとって、院宣は「錦の御旗」だった。尊氏は再起の足掛かりとして室城を築いた後、九州へ出発した。室城跡は今も鞆港の南西、小高い山の上に残っている。
(「知っとく? ふくやま」より)




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